会長ブログblog

2010.12.11

12月8日

♪ There are places I’ll remember  All my life though some have changed (In my life)

反戦を唱え、愛と平和を希求したジョン・レノンが1980年ニューヨークのダコタハウス前で
マーク・チャップマンに銃撃され40歳の生涯を閉じた日だ。 何の因果か1941年に
日本陸海軍が真珠湾へ奇襲攻撃をかけ太平洋戦争が始まったのも12月8日だ。 
アメリカではリメンバー・パールハーバーとして忘れ得ぬ日と位置づける。

沖縄の悲劇や東京大空襲、そして広島・長崎への原爆投下という、受けた傷を忘れる事
は無いが、中国をはじめ東南アジア諸国へ与えた被害も忘れてはならない。
県内でも山本五十六の出身地長岡は、空襲で焼き払われ小出からも赤く燃える西の空
がよく見えたそうだ。 三尺玉で有名な長岡祭は、この日を忘れないために毎年8月1日
から3日間行われている。 メモリアル・デイとしての位置づけだ。

太宰治は「12月8日」という短編小説で、主婦の目から見た開戦の日を書いている。
終戦から65年が経ち、なんとか平和を保ってきたが、今でも中東やアフリカそして忘れて
ならないのがすぐ隣の韓国と北朝鮮は未だ戦争中だということ。
終戦記念日の8月15日は誰でも知っているが、開戦の日12月8日は認知度が低い。

しかし考えてみれば、始める時は意志をもって始めるが、終わる時は意志ではなく状況
により終わらざるを得なかったといえるから、開戦の日こそ重要な意味を持つ。
戦後連合軍は東京にGHQを設置し、日本を統治した。 明治神宮に隣接する原宿から
渋谷一帯にワシントン・ハイツという街をつくり駐留した。

緑の芝生に白壁の家、典型的なアメリカン・スタイルのおしゃれな街並み。
その中を颯爽と走り抜ける大型のフォードやシボレー。 当時の日本人はこんな国と戦っ
て勝てる筈が無い事を思い知ったという。 戦後日本の近代化へ向けての成長を支えた
のが皮肉にも朝鮮戦争だったのも、この時代の経済構造を物語っている。

ワシントン・ハイツ跡地は代々木公園として生まれ変わり、東京オリンピックのため
丹下健三の設計による代々木体育館・屋内プールが整備されるまで、戦後は続いた。
時代は移り、現代を生きる私たちの関心は極めて個人的なものになっている。
平和の有り難さに想いをして、多くの犠牲の下に今の社会があることを考えよう。

♪ Imagine there’s no heven It’s easy if you try no hell below us ・・・ (Imagine)


カテゴリー:会長ブログ

タグ:

お問い合わせconatct