会長ブログblog

2010.12.04

昭和歌謡

♪ ぼろは着ててもこころの錦 どんな花よりきれいだぜ 若いときゃ二度無い・・・

着流しスタイルの水前寺清子が「涙を抱いた渡り鳥」でデビューしたのは昭和39年。
東京オリンピックの年だった。 高度経済成長の影で貧富の差も広がった時代に、
あえて貧しくとも心の持ちようが大切だという詞を書いた作詞家、星野哲郎。
先月15日に85歳の生涯を閉じ、21日には早速NHKで追悼番組が放送された。

愛弟子の水前寺清子は、「いっぽんどっこの唄」「365歩のマーチ」と次々にヒットを飛ばし
歌謡界での地位を築いた。 同じ昭和39年「困るのことヨ」でデビューした都はるみにも
「アンコ椿は恋の花」を書いて、レコード大賞新人賞を受賞させた。

♪ ドブに落ちても根の有る奴は いつかは蓮の花と咲く 意地は張っても心の中じゃ・・・

小林旭には「自動車ショー歌」や「昔の名前で出ています」といった、しゃれた歌を創った。
北島三郎のメジャーデビュー「函館の女」が大ヒットし、女シリーズへとつなげたほか
「兄弟仁義」も書いた。 渥美きよしの「男はつらいよ」も星野の作になる。

「えん歌」というひらがな表記にこだわり、「えん」は縁、宴、艶、援、演・・・だが決して「怨」
では無いと言っていたことからも、人柄が偲ばれる。 最近では瀬川瑛子や島津亜矢にも
多くの作品を残しているが、船村徹とのコンビでの美空ひばりの「みだれ髪」が印象に残る。

今年は春にも吉岡治が逝き、昭和歌謡がだんだん遠くなるようで寂しいが、忘れ去られる
訳ではない。 歌いつなぐ人がいる限り、いつまでも愛唱されてゆくはずだ。
寂しいのは今の歌が国籍を持たない詞が多く、脱亜入欧の指向が結果として今の時代を
作ったような気もする。 もう少し独自の文化を重んずる流れを作れなかったのだろうか?

日本語の持つ表現の豊かさは、他のどの言語にも無い語彙の数にある。 
目に見えるもの、手で触るもの、味覚や香りの表現。 心で感ずる喜怒哀楽など、美しい
言葉の数々。 抑揚の利いた言い回しや、敬語に謙譲語。 男言葉に女言葉。

♪ 髪のみだれに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う  憎や恋しや塩屋の岬・・・


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