会長ブログblog

2015.11.28

風街レジェンド

♪ 恋人よ僕は旅立つ 東へと向かう列車で はなやいだ街で君への贈り物 ・・・

早いもので11月も月末を迎え、今週は忘年会と呼ばれる会が3回もあった。
冬を前に季節が足踏みしているような暖かな日々が続いたが、来週は師走に入る。
勤労感謝の日の夜、この夏行われた作詞家松本隆の45周年記念コンサート
「風街レジェンド」の模様がBS朝日で放送された。

松本隆といえば細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とのバンド「はっぴー・えんど」が
まず先に思い浮かぶが、数多くのヒット曲の作詞家としての方が有名だ。
作詞家ランキングでは秋元康、阿久悠に次ぐヒットメイカーだ。
アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」から本格的作詞家活動を始めた。

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で不動の人気を得、独特の言葉遣いで心情を
表現する手法が当時の個人主義的時代背景に溶け込んだ。
中原理恵の「東京ララバイ」や森進一の「冬のリヴィエラ」など、ご当地名の入った曲
でもその場所ではなく、その場での出来事を大切に語った。

寺尾聰の「ルビーの指環」でレコード大賞を受賞し、松田聖子の「赤いスイートピー」
「渚のバルコニー」「瑠璃色の地球」はじめ数々のヒット曲を送り出した。
松田聖子の人気は歌手としての能力やアイドルとしての魅力もさることながら、
持ち歌の良さが際立っていたのが大きな要因だった。

今でも衰えることなく作詞活動を続け、自主レーベル「風街レコード」を立ち上げて
意欲的に活動している。 その基となったのが、風街が示すように「はっぴー・えんど」
時代からの音楽活動であり、細野晴臣や大瀧詠一らとの出会いから始まった。
そしてその始まりの年1970年こそは三島由紀夫が自決した年でもあった。

今週25日は45回目の憂国忌だった。 一つの時代が終わり、一つの時代が始まった
その年が1970年だった。 昭和45年、高度経済成長時代で大阪万博が開催され、
国鉄が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを始めた年でもある。
日本が元気で人口増に伴いGDPも増え続け、明るい未来が約束された時代だった。

♪ あいつによろしく伝えてくれよ 今ならホテルで寝ているはずさ 泣いたら ・・・


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