会長ブログblog

2015.08.01

ヒットチャート

連日暑い日が続き、テレビニュースも猛暑や豪雨など気象関連から始まる。

先日ラヂオでヒットチャートの話題があった。 かつては初登場から徐々に
順位を上げ、ある程度認知度が上がってからトップに躍り出るというのが
順序だった。 今ではAKB48など初登場でいきなりトップに出て、徐々に
下がってゆくパターンになっているという。

初登場でトップとは確かにおかしな現象だと思う。 発売と同時に売れまくる
のだから曲の内容とは別の要因で売れることになる。 そうした事がはたして
ヒットチャートと言えるのだろうか? 深夜放送の番組にリクエストハガキを
出してかけて貰った時代が懐かしい。

歌謡曲や流行歌、あるいはグループ・サウンズやカレッジ・フォークなどと
呼ばれていた頃のヒット曲は誰でも知っていた。 テレビでも音楽番組が
多かったから、そこからヒット曲が誕生した。 J-POPと呼ばれるようになって
久しいが、あの頃から日本のポピュラー音楽への興味が薄れてしまった。

国民的歌手とよばれた美空ひばりや張りのある伸びやかな高音の三橋美智也、
低音ならフランク永井やアイ・ジョージなど多くの個性派歌手がいた。
レコード会社専属歌手制度だった時代、人気歌手は年に何枚も新曲を出し
そのプロモーションはレコード会社が担当した。

流行歌はレコード売り上げのみならず、テレビやラヂオの番組制作にも多大な
影響を与えたし、日活や東宝などと組んで歌手を主人公にして曲名そのものが
題名になる映画も数多く作られた。 そういう意味では流行歌が中心になって
メディアを牽引した時代でもあった。

橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦は御三家と呼ばれるほどのヒットメイカーだった。
中尾ミエ、伊東ゆかり、園マリも三人娘と呼ばれ、その後も新御三家とか
花の中三トリオとか男女を問わず、何かにつけ3人組で売るのが流行った。
3人なら顔も名前も覚えられるが、48人では誰が誰か区別がつかない。

今どき小中学校でも1クラス40人以下なのに、いくらなんでも多すぎる。


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