株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

新御三家

初夏の陽差しが眩しい中、新緑の里山はタニウツギの薄紅色が目立つ。

今年はウツギと山藤の当たり年のようだ。そして、歓迎されない蛾の幼虫、
毛虫も早くから大量発生し、庭木や建物の陰、舗装された道路にまで夥しい
数が蠢いている。例年なら6月ごろ駆除消毒が行われるが、今年は早くから
作業に追われる人の姿が目立つようになった。

動物たちも人間に好かれる者と嫌われる者では天と地ほどの差がある。
同じ種でも蝶と蛾では月とスッポンだ。美しいものの代名詞が月なら、
スッポンは何の因果で醜いものの代表になってしまったのか分からない。
丸い形で空と池の違いだけの比喩だとしたらとても迷惑な話だろう。

今週は西城秀樹の訃報が入った。新御三家と呼ばれた野口五郎、郷ひろみ、
三人の中で最もエネルギッシュな存在だったが、40代後半で脳梗塞を
発病し、闘病生活を送っていたという。リハビリの成果も出、舞台復帰も
果たしたが50代で再発し、残念ながら63歳の生涯を閉じた。

私たちの世代は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の元祖御三家の時代だった。
高度成長期の流行歌の世界は世相を反映し、売れるとなれば1年間に何枚も
新曲をリリースした。大量生産大量消費の所為か、御三家のヒット曲で
今でも歌い継がれている歌は僅か数曲しかない。

当時の流行歌は商業主義が蔓延し、レコード会社の専属歌手時代だったので、
個性よりも会社の方針でスターが創られた時代だった。歌を流行らせては、
同名の映画も制作し興行収益を上げた。だけど、小中学生から御祖父ちゃん、
御祖母ちゃんまで同じ歌を共有できた幸せな時代でもあった。

新御三家の時代になると、グループ・サウンズやフォークブームを経て、
ニューミュージックの時代となり、世代間で多様になった。
昭和を代表する歌は戦前・戦後から30年代40年代と年代毎にあったが、
平成を代表する曲という感覚は30年経てもすぐには出てこなくなった。

加山雄三の若大将シリーズのヒロイン、星由里子さんの訃報も届き寂しい。