会長ブログblog

2013.08.24

処夏

記録的な猛暑の8月も、長かった夏休みも、残り一週間になった。

四季のはっきりした地域に住む私たちは、季節の移ろいを感じながら暮らす。
あれだけ賑やかだった蝉の声が消え、いつの間にか涼やかな虫の音に変わる。
草花や昆虫たちは、正確に時間を刻んでいて、自らの出番を知っている。
朝晩の風が秋の気配を運んで来たのだ。

先週の大湯温泉花火大会は、山合いの地形ならではの大音響が魅力だった。 
新潟県には、三尺玉やフェニックス花火の長岡。 水中スターマインの柏崎。
そして、四尺玉の片貝が新潟三大花火として全国的にも有名だ。 何十万人もの
観客を集めるイベントに育ったが、大湯温泉のような花火も風情がある。
 

大湯温泉は昭和30~40年代の高度経済成長期には、多くの団体客がバスを
連ね一夜の宴席を楽しんだ。 上越線小出駅には各旅館の番頭が旗を広げて
お客様を引く。 大湯の停留所から温泉街へ続く坂道の両脇には土産物店や
遊技場が並び、温泉地に足を踏み入れた事が自然に感じられた。

宴会がお開きになると一斉に「すずらん通り」に繰り出す。
お目当ては入口にある「大湯劇場」だ。 ストリップを見て、射的やスマートボール
で酔いを醒ますと、バーやサロンで飲み直しだ。
夜が更けるのも忘れ、いつまでも笑い声と怒号が飛び交っていた。

テレビ、ラヂオ、ステレオ、アンテナ。 電気製品ではなくあの頃の芸者衆の源氏名だ。
松野屋、鈴の家、音羽屋、新音羽、住の家、川岸屋、五月、吉田家、新吉田などなど
70人を超える芸者衆がこうした置屋に所属したが、それでも足りないほどだった。
カラオケ・スナックの時代になって、芸者衆も次第に数を減らした。

あの頃、一世を風靡した怨歌歌手の藤圭子(享年62歳)の訃報が届いた。
時代は高度成長から景気の頂点へと向かっていた。 
そんな中でもみんなが等しく幸せだった訳では無かった。
「歌手の宇多田ヒカルの母で」というニュースの紹介が悲しかった。

明日からは小出祭が始まり、今年の夏の終わりを告げる。 寂しい。


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