会長ブログblog

2012.08.18

子供のいない川

お盆が明け、すっかり出穂した稲に容赦なく残暑が照り付け、作柄が心配される。

多くの釣り人が腰まで水に浸かりながら、魚野川や破間川の風景に溶ける風情が
何年か振りに戻ってきた。 去年は7月の豪雨で川の形が変わるほどだったから、
鮎も流されたのか釣果も優れなかったし、その前の何年かは小出辺りは不漁だった。
温暖化の影響か、 鮎の生態も少し上流域へと移動したようだった。

今時の釣り人は、何処で釣れているのか? 直ぐに情報が伝わり移動するそうだ。
今年は小出周辺で釣果が上がるようで、小出橋の上下流に多くの太公望が集まる。
橋の高欄越しに川の流れを見ていると、上流に向かって動いているように錯覚する。
川の流れを見ていて少し違和感を覚えた、子供たちの姿が見えないのだ。

学校にプールが出来たのは昭和40年頃のことで、それまでは夏休みは川で遊んだ。
中橋(小出橋)の本町側に旗竿が立ち、赤は遊泳禁止、白は可だった。
右岸は木工沈床が入っていて深かったので、大人や高校生が勢いよく飛び込んで
横断する勇姿を横目に、左岸の浅い所や佐梨川の中学校のあたりで遊んだ。

何本もの川が交わる小出は水が豊富で、本町や上町の家々は家の真ん中辺りに
小川が流れていて、洗濯などに利用した他、夏にはスイカや野菜を冷やした。
洗濯機や冷蔵庫の役割の一部を担っていたことになる。
水が豊富なだけにその恩恵にも浴したが、水害との戦いも年中行事だった。

大湯温泉では、見返橋の下流の山峡ホテルの裏が水泳場だったし、砂防ダムの
滝つぼは、潜ってイワナを突く上級者向けだった。 今のように河床が下がってないし、
転石もゴロゴロしていたのでカジッカ突きも良くやった。 土産物屋の売店には、
木刀やおもちゃなど子供向けのみやげに交じって、水中メガネやヤスも売っていた。

そうして採ったカジッカやイワナは、必ず焼いて食べた。 川に降りる道の両側には、
桑イチゴやヤカンイチゴが実って、蕗の葉に集めては口の周りを真っ赤にして食べた。 
子供の頃からそうした自然の恵みを遊びを通して得ながら育った。
夏休みの川から子供たちの姿が消えたのは、どうした事だろう?

亡き父の ありし昔の声のごと 魚野川鳴る その音恋ひし  (柊二)


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