会長ブログblog

2017.10.14

鉄道の日

♪ 汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る ・・・

明治5年の10月14日(新暦に直して)に日本で初めて日本鉄道の父と
呼ばれた長州藩士井上勝の先見の明により新橋~横浜間で鉄道が開業した。
その日を記念して大正11年の今日「鉄道記念日」が制定された。
その後、国鉄色を払拭するため平成6年に「鉄道の日」に改称された。

日本全国を隈なく結ぶ鉄道網の一歩がその日から始まった。
蒸気機関車の時代が長く、只見線は昭和46年の六十里トンネルの完成で
大白川~只見間が開通し全線が繋がった時にディーゼル化された。
上越線でも貨物列車を牽引する姿はその頃まで見られた。

昭和39年の東京オリンピックの年に東海道新幹線の東京~新大阪間が
開業し、夢の超特急「ひかり」と「こだま」は速さを表す名前だった。
その後新幹線は岡山、広島を経て九州博多まで延び、東北、上越、北陸
新幹線も順次開業し、今では北海道まで乗り入れる時代となった。

こうして新幹線は伸延してゆくが、一方で消えゆくローカル線もある。
経済効率では成り立たないローカル線は意識して残す努力をしなければ
何れ淘汰される。日本国有鉄道の分割民営化は時代の要請だったが、
地域だけで単純に分けたからその歪が出ている。

東海や東日本、西日本は稼ぎ頭の新幹線を持つが、九州や四国そして
北海道は本来の輸送業務では成り立たない。九州はマンション分譲や
ホテル経営、「ななつ星」などの豪華クルーズ列車の運行で収益を上げ
黒字化しているが、他は軒並み苦しい経営が続く。

在来線は経費削減を目的に運行本数を減らしたり、廃線に追い込まれる
ローカル線も出ている。歴史ある夜行寝台列車や長距離特急なども無く
なり寂しい。通勤や通学といった日常の役割りだけで維持する事が難し
ければ、ヨーロッパに倣い観光での需要増を図るしか道は無い。

♪ 雪融けまじかの北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき ・・・


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