2010.05.29
♪ 街のどこかに 淋しがり屋がひとり 今にも泣きそうに ギターを弾いている・・・
千賀かほるが唄った「真夜中のギター」。 吉岡治の作詞で、5月17日付けで訃報が届いた。
岡林信康と親交が深く、サトーハチロー門下で、「あわてんぼうのサンタクロース」など最初は
童謡の作詞で知られた。 流行歌では、美空ひばりの「真っ赤な太陽」が唯一のヒットだった。
♪ あたしの海を 真っ赤に染めて 夕日が血潮を 流しているの あの夏の光と影は・・・
藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」は、日活がロマンポルノに行く前の最後の作品だった。
吉岡の詞によるテーマソングを、気だるい調子で石川セリが唄った。
独特の厭世観や不条理のただよう作風で、70年安保、全共闘による学園紛争という灰色の
時代を映した詞を書いていた。
こうした時代に重なるように、開高健が奥只見の村杉小屋に逗留し「夏の闇」の推敲の傍ら
「奥只見の魚を育てる会」の結成へと歩む。 今年は開高の生誕80年で、今日5月29日
から6月13日まで「開高健」展を、地域振興センターホールで開催する。
開高健と交友のあった常見忠さんを中心に実行委員会をつくり、観光協会もお手伝いする。
開高健といえば、壽屋(サントリー)宣伝部の時代に「裸の王様」で芥川賞を受賞し、その後
朝日の特派員としてベトナム戦争を体験する。 東西対立の象徴である悲惨な戦争と、国内
の混沌の時代を見てきた。 釣り師として世界中を巡り、美食家でウイスキーとパイプが
似合い、キャッチ&リリースを日本に広めた人でもある。
♪ くもりガラスを手で拭いて あなた明日が見えますか・・・ (さざんかの宿)
吉岡治はようやく80年代に入ってから、都はるみの「大阪しぐれ」がヒットし、流行歌・演歌の
世界で認められ、名作「さざんかの宿」で作詞家として不動の地位を築く。
その後は、石川さゆりの「天城越え」をはじめ、瀬川瑛子の「命くれない」で昭和歌謡の
一時代を創った。 そういえば、瀬川瑛子も叉、70年の「長崎の夜はむらさき」のヒットから
何年も泣かず飛ばずの時代が続き、ようやく陽の目をみた人だった。
「悠々として急げ」、「入ってきて人生と叫び 出て行って死と叫ぶ」、「釣りの話をする時は
両手を縛っておけ」、開高は自身の、或いは世界中の言葉を集め開高語録として紹介して
いる。 銀山平・北の又川に架かる石抱橋のたもとに、開高の自然への想いを表わして
建立された石碑に、「河は眠らない」と書かれている。
明日世界が滅ぶとも 今日君は林檎の木を植える
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