会長ブログblog

2019.04.13

投票率49,77%

新学期が始まり、入学式も終わり、子供たちの登校する列が春を知らせる。

豪雪地に生きる者にとって最も待ち遠しい季節が春だが、このところ寒気の
戻りで毎週雪が降り、本格的な春までにはもう暫く時間がかかりそうだ。
県内も地域によって季節の進み具合が違い、上越市高田公園のサクラは既に
満開を迎え多くのお客様で賑わっている。

亥年は12年に一度、参議院選挙と統一地方選挙が同時執行されることから
選挙の年といわれる。その第一弾、県議会議員選挙と新潟市議会議員選挙が
行われた。わが魚沼選挙区は3期連続となる無投票で現職が4選を果した。
全県の投票率も50%に届かず、半数以上が棄権したことになる。

昭和の選挙は、地域を挙げて取り組む一大イベントだった。衆議院選挙は
中選挙区制で私たちの新潟県第3区は定員5人。当時は自民党3~4人、
社会党1~2人が当選した。同じ政党から複数立候補する時代、政治家は
それぞれ得意分野を持って政治活動を行っていた。

だから、同じ自民党でも財政通の人、農政が得意な人、産業経済に強い人。
社会党にしても、農民党や労働組合の代表など、様々な個性を持った政治家が
いた。選挙活動は個人後援会が仕切り、最も有名だったのが、田中角栄代議士
の越山会だった。当時、投票率は80%を超える時代だった。

自分たちの町や生活を良くするのは政治次第と考え、後援会活動をしていた。
当時、政治家に必要な地盤、看板、カバンをサンバンといった。地盤は地域、
看板は知名度、カバンは資金力を意味し、これらが揃わないと選挙は難しい
と言われたものだ。良くも悪くも、選挙とはそういうものだった。

時代は変わり選挙活動費は公が負担することになり、地盤や看板は今でも
有効だが、資金力は必要条件ではなくなった。今、選挙に一番影響力を持つ
のはマスコミ報道だ。政治家の資質の低下も目に余るが、スキャンダル報道や
批判ばかりで、政治離れを助長している結果をどう考えるのだろう。

我が国は自由で民主的な国だ。この体制だけは維持して行かなければならない。


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