会長ブログblog

2018.06.16

魚沼青年会議所35周年記念式典(Part2)

関東甲信に比べ遅れていた梅雨入りだが、日曜日には新潟県も発表があった。

同じ日に新潟県知事選挙が行われ、元副知事の花角英世さんが当選した。
米山知事の辞任により混乱を来した県政が、漸く正常化に向けて動き出す。
国政野党各党が選挙の為に連携し、与党に対抗する図式がこの所続いている。
一昨年の参議院選挙から知事選挙、衆議院総選挙と戦果を挙げてきた。

そして新潟県は原発立地という事で、反原発を訴える事で争点を一本化する
選挙戦術も功を奏してきた。しかし、今回候補者の原発に対する姿勢はほゞ
同じで争点にはならなかった。又、国政を県政に持ち込み、安倍内閣打倒を
知事選挙で争点化する野党党首の応援演説には、違和感を覚えた。

さて、小出青年会議所の設立時の話だが、当時私は弱冠27歳で小出に帰って
来たばかり。そこで建設業協会の先輩、銀山開発(株)の故上重快秀氏に相談
したところ、快諾してくださった。設立メンバーを50人位は集めたいが、
どうしようかと言ったら、簡単だという返事。

当時、衆議院は中選挙区で新潟三区で定数5人。自民党4人社会党1人だった。
自民党の代議士後援会に割り振るという。越山会20人、山紫会、秀央会、一新会
がそれぞれ10人集めれば50人になるという簡単な話だった。そして当時は
各代議士後援会単位で切磋琢磨していたから、それが簡単に出来た時代だった。

そして、雪国青年会議所のスポンサーに小千谷青年会議所が待ったを掛けた。
小千谷JCには若くして県会議員を務める早稲田大学雄弁会出身の広井忠男氏
がいて、設立早々の雪国ではスポンサーは無理という事で小千谷JCが設立指導を
することとなった。この辺はJC特有の縦社会だからすんなりと移行した。

当社の3階と今井印刷の2階が打ち合わせ場所となり、小千谷の故阿部和之氏
を中心に多くの小千谷JCメンバーが毎週夜遅くまで指導に来て下さった。
お陰様で全国713番目の青年会議所として昭和58年に設立された。
設立記念事業のコンサート「第一回銀山カーニバル」はその後10年間続いた。

喜多郎、さだまさし、武田鉄矢、加藤登紀子・・・苦労もあったが楽しかった。


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