会長ブログblog

2017.08.05

突然炎のごとく

ようやく梅雨が明け、暦が8月に変わるのを待つように出穂が始まった。

子供の頃夏休みに入って海や川で遊んだ後は、腕や背中を始め全身の皮膚が
剥がれ、何度か繰り返すうちに真っ黒に陽焼けした事を覚えている。 
陽焼けは健康の印として、あの当時は焼け方を競う大会もあり、色は黒いほど
良い時代だったが、今では皮膚がんのリスクから歓迎されなくなった。

ゴルフ場や海では日焼けクリームを塗って肌の負担を軽くし、皮膚を剥くこと
なく綺麗に焼くのが定番になった。 コパトーンの甘いココナツの香りは
潮風と共に海水浴の臭いだ。 オーストラリアなどでは天気予報の中で必ず
紫外線に対する危険指数を出して注意を喚起している。

かつてのフランス映画ではコート・ダ・ジュールで日光浴を楽しむシーンが
多かったが、それだけヨーロッパ人たちは太陽光に対する憧れが強かった。
フランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」やルイ・マルの「死刑台の
エレベーター」などで活躍した女優ジャンヌ・モローの訃報が届いた。

1950年代後半から60年代のいわゆるヌーヴェル・バーグが始まった時代、
ミケランジェロ・アントニオーニの「夜」やオーソン・ウエルズの「審判」
ルイス・ブニュエルの「小間使いの日記」ジャン・リュック・ゴダールの
「女は女である」など当時の人気監督の作品に数多く出演した。

映画評論家の芝山幹郎が日本経済新聞の文化面に追悼文を寄せていた。
「毒と繊細さを秘めた快楽の源泉だった」「肉と知性の鉱脈が深く、情感の
埋蔵量が大きい」などと評している。 あの頃のヨーロッパ映画は男女間の
葛藤を題材にした作品が多かったから女優も官能的なタイプが好まれた。

モローに魅せられたのは映画監督だけでなく、ジャン・ジュネ、マグリット・
デュラス、マイルス・ディヴィス、ピエール・カルダンらも心を奪われ風の
ように時代を駈け抜けていった。 あの時代のパリではあらゆるジャンルの
クリエイターたちはカルチェ・ラタンに集い影響しあって成長した。

わが夏を あこがれのみが駈け去れり 麦わら帽子かぶりて眠る (修司)


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