2020.12.12
この時季、越後駒ケ岳と中ノ岳が日毎白さを増し、八海山は白と黒が交じって輝く。
日曜日には魚沼市長選挙が行われ、即日開票の結果新人の内田幹夫氏が当選した。
内田氏とは商工会青年部時代からの交友で、湯之谷商工会長を3期9年間務められた。
私も20年ほど商工会理事・監事を務めたので、長い間一緒に活動した。
行政経験や議会経験の無い民間の経営者が魚沼市長に就くのは、初めての事だ。
我が国の地方のまちは何処も少子化や高齢化が進み、人口減少に歯止めが掛からない。
経済活動も停滞し、中心市街地や商店街でも空き家、空き店舗が目立つようになった。
こうした現状を変えたい有権者は、新人に期待を寄せる。課題は明確なのに効果的な
対応が出来ていない現状が新人への投票という形で表れる。
戦後、我が国の主要都市は空襲で焼かれ、広島・長崎は史上初の原爆投下で壊滅
状態だった。しかし、そこから奇跡の復興を遂げ、世界に冠たる経済大国を築いた。
自動車や家電など、あの頃の工業製品は「メイド・イン・ジャパン」が持て囃され
「ジャパン・アズ・NO1」などと、アメリカの社会学者からも絶賛された。
その後、バブル崩壊と失われた30年を経て、自信喪失の日本人がいる。GDPや
経済成長率の競争という、過去の成功体験から抜け出せない価値観が国民の幸福度
を下げる。東京一極集中は経済成長には寄与したが、その陰で地方の衰退を招き、
気候風土が醸る独自の文化や生活習慣、日本人の心を犠牲にしてきた。
昭和歌謡でも、三橋美智也の「夕焼けトンビ」守屋浩の「僕は泣いちっち」などは
東京への憧れや、恋人への思いが語られたし、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や
マイペースの「東京」もそうだ。実は大正時代に創られた国民歌的な「ふるさと」も
「志を果たしていつの日にか帰らん・・・」と歌う、都会から故郷を想う歌だった。
昭和はおろか大正時代からわが国では仕事や学業のために、東京へ出て行くのが
当たり前だった。何時の時代でも、人々は故郷を捨て東京へと向かった。だから、
何時の時代でも、故郷は忘れ難き存在であり続けた。自らが生まれ育ったまちが
もう一度元気に生まれ変わることをみんな望んでいる。
新型肺炎の流行が、今までのライフ・スタイルや価値観を見直す好機と捉えよう。
カテゴリー:会長ブログ
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