2020.05.09
大型連休が明けた一昨日、長年の懸案だった魚沼市新庁舎が開業した。
合併後15年余り経過して漸く、魚沼市のシティ・ホールの完成だ。
旧小出町稲荷町の、電源開発奥只見ダム建設基地跡地の現在市有地と
なっていた公園に建てられた。機能重視の四角い建物で、3階建ての
コンクリート壁の外観だが、内装には地元産材木が多く使われている。
魚沼市は合併直前の中越地震の発生により、暫くは震災復旧に追われ
体制移行が遅れた。そうした事情から、市長選挙も先に送り、当初は
前守門村長の野村学さんが市長代理を務められた。その後の市長選挙
を経て、元堀之内町長の星野芳昭さんが初代市長に就任した。
星野市長は復旧の目途がついた後、新庁舎建設計画を打ち出し、早期に
魚沼市行政の中心施設を整備することを目指したが、新庁舎建設反対を
選挙の争点にした大平悦子さんが二代目市長に選出された。大平市長の
2期目までは旧町村役場での分庁舎方式で市政運営を行ってきた。
3期目を迎えるにあたり、新庁舎建設の必要性に迫られ、建設計画を
立ち上げたが、佐藤雅一さんが庁舎建設規模縮小を訴え当選した。
当然の事ながら、市長選挙は庁舎建設が全てではないが、結果として
作らない選択と、規模縮小の提案が有権者の支持を得ることとなった。
電源開発は戦後の電力不足に対応するために、全国で発電所の建設を
手掛けた。奥只見発電所建設当時、上越線小出駅から分かれる只見線に
引き込み線を引いて、現地事務所と資材供給基地を現在の小出電力所や
新庁舎が建つ、この場所に造った。ここから小出郷の近代史が始まった。
今や、市役所窓口でなければ行なえない手続きは極めて限定的となった。
役所と市民の距離も遠くなりつつある。だから、庁舎利用を促すため
多目的スペースを設けるのが流行りだが、新庁舎は行政事務に特化した
建物だ。この選択は潔しと思うが、市民の評価は如何に下るか?
日もすがら 若葉のうへの曇り空 暮るれば赤き月出にけり (赤彦)
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