会長ブログblog

2016.02.27

煙草文化

早いもので2月も残り3日、閏年のおまけ1日を入れても来週は3月に入る。

3月といえば異常小雪だった冬も終わり、いよいよ春という事になる。
いつもの年なら漸く長くて寒い冬の先が見え、春の気配を歓迎する時季fだ。
今年はたいした苦労もない冬だったので、季節感の薄い春を迎える事になる。
それでもやっぱり春は心も軽くうれしい季節に変わりは無い。

先週は愛煙家が如何に肩身の狭い思いをしているかという事を書いた。
かつて酒やタバコは大人の嗜みで、子供との一線を画すものでもあった。
アルコールもその弊害が言われて久しいし、酔って迷惑をかける事もあるが
他人の健康には余り影響しない為、タバコほどは嫌われない。

タバコにも酒にもそれぞれに独自の文化が創られた歴史がある。
タバコの場合、ニコチンとタールが弱くなるのに比例して市民権を失った。
かつてはパイプやキセルで喫う刻みタバコであったり、葉巻であったりした。
紙巻でもショート・ピースのようにフィルターは付いていなかった。

ガスライターはデュポンかダンヒルの金無垢か七宝が上等だった。
そこまで高価でなくとも風に負けないオイル仕様のジッポも人気だった。
フランスのBIC社が発売したプラスティック・ライターも、使い捨てでは
なかったから長く愛用された。

マルボロ、ウィンストン、ラーク、ケント、キャメルといったアメリカ・タバコ
やゴロワーズ、ジタンといったフランスものはパッケージ・デザインも
喫う人の拘りを表わした。 国産でも和田誠がデザインしたハイ・ライト
やセブン・スター、ホープなどのデザインは秀逸だ。

こうしたタバコの文化までが否定され、人々の関心から消えてゆこうと
しているのは残念な事でもある。 基本的なマナーさえ守ってもらえれば
タバコを嗜むのは個人の自由で良い筈だ。 タバコを喫わない人たちも
もう少し寛容であってほしいものだ。

タバコの害ばかりが強調される社会は、偏った価値観しか生まない。


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