株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

黒の舟唄

今週も師走とは思えない小春日和が続き、スキー場や除雪隊は気がもめる。

10日には直木賞作家野坂昭如の訃報が届いた。 病状は気になっていたが
文筆活動は続けていたのでまだ大丈夫と思っていた。 85歳というから立派な
老人だが社会に対し強力なメッセージを送り続けた生涯だった。
新潟県にも縁が深く旧制新潟高校に通ったし父親は副知事も務めた。

作家としての活動よりテレビやラヂオ、雑誌などマスコミでの活躍が目立った。
交友関係では田中小実昌や長部日出雄、柴田錬三郎に瀬戸内寂聴など個性派
が多い。 呑兵衛で明け方まで新宿二丁目で飲んでる姿を何度も見た。
サングラスと帽子がトレードマークのシャレ男でもあった。

社会派ゆえ政治にも関心が深く、昭和58年の参議院選挙で野末陳平らと結成した
二院クラブから立候補し当選している。 同じ年の12月にはいわゆるロッキード
選挙といわれた総選挙に、我が地元旧新潟三区から立候補し全国から注目を
集めたが、現職の壁に跳ね返され次点で落選した。

あの選挙の事は今でもよく憶えている。 田中角栄という稀代の政治家が
政治生命をかけ中曽根総理に解散させた選挙で世論は盛り上がった。
それだけでも充分注目を集めたのに、その選挙区に野坂が立候補したの
だからマスコミの追っかけ取材は熾烈を極めた。

田中候補と野坂候補の行く先々にはテレビ局や新聞・雑誌の記者たちが
長岡のタクシーを借り切って取材合戦を繰り広げる。 街頭であれ個人演説会
であれ、多くのマスコミが入りこみ選挙本来のテーマが吹き飛んでしまった。
政策ではなく政治モラルに話題が一本化され、不毛な論争をマスコミが煽った。

田中角栄はタレントとしての才能もあったからそうした環境でも強かった。
全国最多得票で自身最多得票でもある22万票余りを獲得し当選したのは
マスコミが騒いだ結果だ。 あれから30余年が経ち、田中角栄関係の本が
出版されたりして政治手腕が見直されているそんな時代に野坂は逝った。

♪ 男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど  ・・・