株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

関越道全通30年

♪ テレビもねぇ ラヂオもねぇ ピアノもねぇ ・・・ おらこんな村やだー

昨日10月2日は関越自動車道の関越トンネルが開通し、最期まで残った
湯沢~前橋間の開業により新潟~東京間が全線開通した日だった。
首都圏と新潟県を結ぶ高速道路が繋がり高速交通時代が始まった
記念すべき日から30年が経つことになる。

その3年前に開業していた上越新幹線も、その年には大宮~上野間が
繋がり更に東京が近くなった。 当時の日本はバブル経済の絶頂期で、
越後湯沢や石打・舞子では高層リゾート・マンションが建設ブームとなり、
最上階の最も高額の部屋から順に売れて行った。

裏日本と呼ばれた地域が日本海側と呼ばれるようになった時代だった。
経済発展だけでなく、平均寿命も人口も毎年延びた時代でもあった。
交通網の整備により、より便利に、より早く、人も物も目的地に到着できる。
地理的な距離を時間が凌駕したが、その尺度は東京起点であった。

あくまで東京に到達できる時間距離が競われた時代だった。
皮肉なことに地方の衰退と東京一極集中はこうした競争から始まった。
東京との時間距離が縮まる中、地方と地方、県境を挟んだ町同士の
距離は置いてゆかれたまま、この30年ほとんど変わっていない。

こうした傾向は、今年の北陸新幹線や来年の北海道新幹線の開業でも
その流れの中で変わらずに進められ、東京一極集中が加速する。
新聞や出版、テレビでもラヂオでも発信地はいつも東京で、地方発の情報
でさえ東京経由で流される。

地方創生が謳われ、地方の活性なくして日本の未来は無いという。
高速道路網や高速鉄道網開発の基となった発想は、国土の均衡ある
発展を夢見てこそだ。 今こそ地方を元気にしなければ、我が国の未来は
開けてこない。 施策の転換が迫られている。

吉幾三が歌った「おら東京さいくだ」がヒットしたのも30年前のこの年だった。

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