株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

戦後70年Ⅰ

立秋を迎え暦の上では今日から秋だが、まだまだ厳しい残暑が続きそうだ。

早くも小出周辺のコシヒカリは出穂が始まった。 今夏は気温の高い日が続いた
から累積温度が出穂に達したのだろう。 それにしても猛暑日の続く今年は
作柄が心配になる。 ここ数年田植え時期を遅らせ、高温被害から稲穂を守る
工夫が奏功し、一等米比率が高く食味も良かったが今年はどうだろう。

明日は枝折峠を一気に駈け登る自転車レース「ヒルクライム」が行われる。
大湯温泉をスタートに枝折峠頂上まで、標高差700m超の急坂15㎞をトップの
選手は30分台で登り切る。 平均時速30㎞程のスピードで走る計算になり
自動車とあまり差が無い事は驚きだが、熱中症が心配だ。

戦後70年の節目を迎える今年は、国会の安保法案もあって例年以上に戦争が
話題になっている。 今も地球上多くの国や地域で戦闘状態が続いているし、
ほとんどの国が軍隊を持ってそれぞれの国民や国土を護っている。
平和憲法を持つ我が国の自衛隊も例外ではなく完全な軍隊だ。

昭和39年の東京オリンピックの頃まで、戦後の名残りが色々な所に残っていた。
乞食や傷痍軍人が施しを乞う姿が街角に見られたし、いわゆる軍歌と呼ばれる
戦意高揚の歌を流行歌のように大人は歌い、子供たちでさえ知っていた。
その後、戦争は過去の歴史となって日常からは話題が遠ざかった。

60年安保は幼かったので「アンポ ハンタイ」のシュプレヒコールが意味は
分からなかったが耳には焼き付いていた。 70年安保は学生運動と同時期で
私は高校生で東京に出た年でもあったので鮮明に憶えている。
安保より学生運動に関心が高く、反戦フォークが流行った時代だった。

この時の反戦対象はヴェトナム戦争だった。 アメリカでもフラワー・ムーブメント
と呼ばれた若者の反戦活動がブームになっていた。 貧困や戦争など世の中の
不条理に対しメッセージ・ソングとしてフォークやロックが流行った。
あの時代までが個人より社会を優先する考えで若者は行動した。

♪ 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った ・・・

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