株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

ハッピーエンド

♪ 哀しみの裏側に何があるの 涙さえ凍りつく白い氷原 誰にでも心に冬を ・・・

「さらばシベリア鉄道」は,昨年暮れ突然の訃報が届いた大瀧詠一が作曲し、
松本隆が詞を書いて、太田裕美の歌でヒットした。 
昭和23年生まれの団塊の世代がそうさせるのか? あの時代独特の明るさと
合わせて厭世観とかニヒリズムを持ち合わせていた。 

大瀧詠一といえば、細野晴臣、鈴木茂そして松本隆と組んだ「はっぴーえんど」が
一番印象に残っている。 当時フォーク界の神様と呼ばれた岡林信康や高田渡、
加川良らと活動を共にして人気を博した。 細野と鈴木は「キャラメルママ」から
「ティンパンアレー」へと活動の場を移し、大瀧と松本は作詞・作曲へと進む。

二人は寺尾聡の「ルビーの指環」や松田聖子の「風立ちぬ」でヒットをとばし、
森進一の「冬のリヴィエラ」でも解るようにしゃれた曲風が多い。
コンビで創ったアルバム「A LONG VACATION」は、CMにも多く使われた。
松本隆は筒美京平とのコンビで、私も好きな太田裕美の曲を数多く書いた。

当時、青春歌謡と呼ぶに相応しい曲想を持ち、「雨だれ」でデビューした。
「赤いハイヒール」「九月の雨」そして「しあわせ未満」などの佳曲を創った。
「木綿のハンカチーフ」は、今でも歌い続けられる太田裕美の代表作だ。
松本の詞はいつも切ない乙女の心理を描いていて、皮肉にもハッピーエンドはない。

大瀧詠一はその後、歌手活動は休んで、小泉今日子や渡辺満里奈、吉田美奈子
へのアイドル・ソングや、小林旭の「熱き心に」など作曲活動に勤しんだ。
最近ではラヂオでしか声を聞かなかったが、独自の音楽理論を持ってノリのいい
ユーモアセンスにあふれる話題を提供してくれた。

パロディー好きで「二宮損損」とか「坂本八」、「トランク短井」などと仮名で作曲した
事もあった。 そういえば以前、松任谷由美もグレタ・ガルボをもじって「呉田軽穂」
という名前で作曲したり、半村良から「イーデス・ハンソン」というタレント名を
付けた変な外人も居た。 今どき65歳での別れはハッピーエンドとは言えない。

♪ 伝えておくれ 十二月の恋人よ いつ・・・いつまでも 待っていると

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