株式会社三友組 新潟県魚沼市の総合建設業

3・11絆

明日は3月11日、あの未曾有の大災害から1年の月日が流れる。

亡くなった方々、15、853人、行方が分からない方々3、286人合計19、139人。
被害額は25兆円にも及ぶと言われる。 テレビではあの時からの1年を振り返っての
特集番組がしきりに流される。 多くの識者は我が国の歴史で、明治維新と太平洋戦争
の敗戦の時、そして東日本大震災が時代の大きな変革期だと位置づける。

犠牲者の大半が60歳以上の高齢者で占められた。 
死因の92%が溺死だというから津波の脅威は凄まじい。 
瓦礫の処理が問題になっているが、元々は失われた25兆円にも及ぶ資産なのだ。
そして原子力発電所の事故による放射線の災害という新たな問題も引き起こした。

テレビ画面から送られてくる映像を現実のものとして理解するのは容易でなかった。
深い悲しみと絶望の淵に立たされた人々の姿に、世界中が涙した。
自然の脅威と人間の個体としての弱さを見せつけられ、精神の強さも同時に知った。
大人たちの失意の中で、それでも救いは子供たちの笑顔だった。

東京電力の送電線工事を施工させていただいた当時、公共工事とは違った独自の
安全対策の質の高さに驚いたものだった。 東北電力は毎年1回「文化講演会」を
お客様サーヴィスで行っていた。 講師には著名な作家や評論家が充てられていたが、
移動手段は万一の事故に備え常に2系統以上が用意されていた。

フェール・セーフという考えで、二重三重の対策が施されていたのが電力会社だ。
その安全神話が今回は通じなかった。 「想定外」という言葉で原因が集約された。
電力に依存した私たちの生活の在りようを見直す機会ともなった。
政府や電力会社の対応を批判する前に、私たち自身の生活を見直す事が先だ。

消防や警察、自衛隊そして東北地方整備局の存在価値を見直す事にもなった。
東北地整の局長は、以前新潟国道の所長を務めた徳山日出男さんだった。
原発事故の現場で対応に携わった方々は、所属を問わず決死の覚悟で臨んだ。
この一年を振り返れば、遅い春、暑い夏そして寒い冬でもあった。

もう一つ学んだことは、絶望の底にこそ希望の光は見えるものだという事だった。

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