会長ブログblog

2011.04.09

上を向いて歩こう

四月に入って学校も始まり、ようやく麗らかな日和が続き春らしくなって来た。

3月11日以降、国内はもとより海外でも話題は一つ、被災地へと向けられた。
テレビもコマーシャル自粛で、毎日AC公共広告機構のキャンペーンCMが流れている。
ここの所ようやく通常放送に戻りつつあり、その最初が心に沁みる歌で被災者を元気付け
ようとする歌謡番組。 こういう場面で必ず登場する歌は「上を向いて歩こう」だ。 

出演者もJ-POPの若手ではなく、昭和の時代に活躍した歌手たちだ。 
あの頃の流行歌は老若男女を問わず誰でも同じ歌を聴き同じ歌を唄った。
一曲の歌で時代を共有していた。 テレビも地方では民放一局時代でその分映画の
人気が高かった。 ヒット曲を映画化するのが流行り、相乗効果で興行収入を上げた。

橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家は当時のヒット曲をそのまま題名にした映画を
撮った。 橋幸夫はあまり本数は多くなかったが「潮来笠」に「いつでも夢を」など、
舟木一夫は「学園広場」に「高原のお嬢さん」、西郷輝彦なら「十七歳のこの胸に」とか
「星のフラメンコ」、レコード販促を目的に全盛期には年に4~5本も撮った。

加山雄三も若大将シリーズでは必ずヒット曲に乗せたストーリー展開で、青大将と恋の
駆け引きという決まりのパターンで10年間で17作も撮った。 もっとも流行歌と映画の
組み合わせは、水原弘やフランク永井そして石原裕次郎に小林旭、女性では美空ひばり
や江利チエミ、園まりや伊藤ゆかり果ては、いしだあゆみなど枚挙に暇がない。

流行歌のヒットに乗せる手法は日活が得意で、駅前や社長などのシリーズものは
東宝だった。 東映は毛色が違い、高倉健や鶴田浩二の任侠ものや菅原文太の実録
「仁義無き戦い」。 或いは梅宮辰夫の不良番長シリーズ、さらには岩下志麻、かたせ梨乃
の「極道の妻たち」など裏社会もののヒットで一時代を築いた。

ショー・ビジネスの世界は、映画会社と私鉄各社それに新聞社が支えていた。 
松竹や大映、東映はプロ野球チームのオーナーも務めた時代であった。
当時の隆盛が偲ばれる。 今ではセ・パ両リーグの球団オーナーは時代の趨勢で
情報産業や食品産業が参入し映画会社は姿を消した。

♪ 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜・・・


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