会長ブログblog

2016.10.01

国立代々木競技場

9月後半は雨模様の日々が続き、残された稲が首を垂れながら刈入れを待っている。

今日から10月に入り、雪国の建設業はそろそろ先が心配になる時季だ。
あと2か月もすれば間違いなく雪が降りてくるが、それまでに形に仕上げなくては
ならない。 里山のブナやナラ、もみじやナナカマドなどの広葉樹もそれぞれに
緑から黄色、赤から褐色へと装いを変えながら彩を豊かにしてゆくのが10月だ。

先般、国立代々木競技場を世界遺産に登録しようという活動がニュースで流れた。
1964年は我が国近代史の中でも特別な年であり、オリンピックに合わせて整備された
多くのインフラは戦後復興の証でもあったし、世界をリードする日本の技術力を発信
するには絶好の機会でもあった。

東海道新幹線の開業は多人数の高速移動を可能にし、その後の鉄道事業の在り方を変えた。
東名高速道路は道路規格を変えただけでなく、国産自動車の性能向上にも大きく寄与した。
首都高速や東京モノレールは手塚治虫が漫画で表現した近未来の都市像を具現した。
そして、人類の祭典と呼ばれたオリンピックを見るためにお茶の間にテレビが入った。

家電の開発はテレビのみならず、主婦の重労働とされてきた洗濯や掃除を器械に任せる
時代へと変えていった。 モノを持つことによる達成感が「三種の神器」という言い方で
分かりやすく広まっていった時代でもあった。 しかしながら、その後数年で日本人は
公害問題や、首都高により江戸の風情や景観を著しく損ったことを反省させられる。

発展の影には多くの代償がついて回った。 そうした時代に造られたインフラの中で
今でも燦然と輝きを放ち続ける建物が国立代々木競技場だ。 土木技術の吊り構造を
もって柱の制約を受けない大空間を作り出した。 その合理的な考えに基づいた華麗な
フォルムは当時世界中の注目を集め、日本の建築技術の高さを知らしめた。

2020東京オリンピックまでに登録完了を目指す組織は丹下健三氏の弟子でもある
建築家の槇文彦が会長となり、新国立競技場設計者の隈研吾、伊藤豊雄、安藤忠雄と
いった我が国を代表する建築家各氏の他、三宅一生や緒方貞子氏が名前を連ねる。
ル・コルビュジェの上野国立西洋美術館に続き、登録されることを期待しよう。

秋はものの ひとりひとりぞをかしけれ 空ゆく風も またひとりなり (牧水)


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